反出生主義だから出産に対して「おめでとう」とは言えないが既に誕生した存在を不幸にすることは許されないから否定的なことも言えないどうすればいい
@nerakattt 自分は、人間の行動の全て(他人への気遣いとかも)は本人のエゴに集約してそれは勿論自分にも当てはまると思った瞬間に反出生主義とかが掲げる理念に対しての諦念が生まれて少し楽になった。とんでもなく広範囲なメタ的思考?なのかな。あんまり哲学書読まないから的外れなことかもしれないけれど...
@imaginary_nk まんまショーペンハウアーだけど、エゴを生きんとする意志という言葉に置き換えると、世界は到底逃れられないような生きんとする意志によって表象された存在であって、その不条理な意志によって飽くなき渇望が生まれているせいで苦しみを感じるわけだから、
@imaginary_nk その意志を否定することでしか人間は幸福になれないという論理だけど、そんなことは完全禁欲主義の聖人でもない限り不可能だからせめて意志だとかそういうことで悩むような存在を生み出さないことは自分にもできるからこういう立場にいる
@nerakattt なるほどめちゃくちゃ勉強になった。自然の摂理とかって意思とかに置き換えられないと思うんだけど、人間の行動(勿論生殖行動も含む)もそういうものだと思うんだよね。自分のも他人のも、意思は潜在的でオートマティックだし。「桜が咲いた」と「知り合いが子供を授かった」は根本で同じな気がする
@nerakattt 的外れだったら本当に申し訳ない
@nerakattt 誕生した存在が幸せであること、幸せであるようにすることが親の幸せで、できる限りのことは親もするって状況なら(そうあるべき)産むこと自体が悪とは言い切れなくない?という考えです。なんやかんやで発生する人生の悩みは後々むしろ悩めて考えを尽くせたことはよかったなと思う気もします。。
@WOIIFTMtobitate 幸福と苦しみは二元的な概念じゃないしどれだけ幸福が大きくても苦しみを0に持っていくことはできないからそれだったら非存在の方でいいんじゃないかと思っちゃいますいくら幸福であろう/させようとしても苦しみを幸福のヴェールで覆い隠すことはできないと思うので......
@nerakattt その論理はわかるんですが生まれてくる子がどう思うかは生まれてこないと分からないので出産自体の善悪はあんまり無い気がしちゃいます。人間の選択できることの道徳性はその意思までが限界な気もしますし。。僕は生まれてきてよかったと現段階では思ってます。
@nerakattt 個人としては反出生主義的理念のもとに行動することはめっちゃわかるんですが、他の人の行動に対してモヤモヤしてしまうのは別のことの気もしてきました…反出生主義について詳しく勉強したわけでは無いので恐縮ですが…
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